読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

30歳からの幸せ探しの旅をつらつらと【旧好きなことだけしたらどうなるか。人生は実験だ。】

このブログはピヨ子自身の「書くセラピー」の場所として活用しています。子宮メソッドがきっかけ。

子宮メソッド実践から1年経過した今の変化 後編 いびつな実家の力関係

このブログを1年くらい続けて、本音が見えた☆☆(ゝω・)vキャピ的な記事を色々書いてきたけれど、それは幻想で、現実をきちんと見られたのは、ちょっとずつだけど本音の世界に近づけたと言えるのかな。

円満な家庭環境なんか大嘘

我が家は深い闇を抱えている。子宮メソッドがすすむにつれて、見えてきた。

前回、イラスト付きの記事を書いた長女が帰省してからも、気持ちはふさぎ込んだままだった。理由はわからないまま、暗い気持ちが続く。仕事がある時は、落ち込む気持ちを一瞬で忘れられるから救いだった。けれども帰宅した途端、なんともいえない黒い感情に覆いつくされそうになる。そんな気持ちをごまかすかのように、ビールをかっくらって一時的に陽気な自分を演出する私。昔から酒に逃げる癖が続いている。 テンションだだ下がりのまま生活していたら、ある時こんな考えが浮かんだ。

 

「幸せなんか幻想。実家は見てみないふりをする奴らの集団」

これが真実だったのだ。考えてみたら、いつからか、私は長女、長男のことを、唯一無二のスーパーマンか、はたまた命の恩人だと思い込んでいた。たぶん母親が繰り返し言っていたからだと思う。我が家は実父が少々変わった人間だったけど時代の波には合っていたみたいで、30代で部長職に昇進したのを良いことに、5人きょうだいの主にも関わらず、突然自営の会社を興した。要するに無計画なのだ。自営業が軌道に乗り始めてからも、生活は貧しかった。長女は生活重視で看護師を選び、兄は建築士の道をえらんだ。その直後、父は脳梗塞発症。一足先に給与を得た彼らは、食べ盛りの妹、弟の支援をせざるを得なかったのは事実。学生時代に視力が落ち、眼鏡買ってくれたのも姉。実家の洗濯機、ベッド買ってくれてのは長男などなど。実家は父親が働けなくなった時から、家族の助けを受け続けるのが当たり前だった。ここまではお涙ちょうだいな展開なのだが、今回気づいた問題点は、実家全員が強烈なエゴの塊を抱えてて、とっくに私の許容範囲を超えていたのに、なぜか頑張って、ふたりのボス(長女長男)を気分よくさせようと無理していたことだ。

 

我が家は35歳のピヨコ以外は全員独身である。その理由は、自分以外を愛せないからだと私は思う。正確には、自分以外を見下す傲慢さが、体の中からあふれ出ちゃってるのだ。40過ぎてから顕著になった。長女も長男も次女も。楽しく会話したくても成立しない。長女の場合、7割方は自分の自慢、または自分の取り組んでい話題に終始する。長男は、大体「周りのすべてがいかに悪く、劣っているか」をあの手この手で表現する。今までは我慢して話を聴いたり相槌を打ったりしてた。順調に老けてゆき、優れた部分よりも我の強さが浮き出てくる自分に危機感を持ったりすることはない彼らの話を、何故、死ぬほどつまんないのに聴き続けてたのか。理由は「貧しい時期を救ってくださった存在」だと思っていたからだ。ちなみに長女や長男に昔から友人は少ない。長女に至っては、仲良くなった、と言っては気が付けば仲たがいしていた、とよく話している。だから、家族と密な付き合いにならざるを得ない。言葉に出さずとも、うっすらと思ってた。(家族だから話すけど、職場とか、知り合う機会があっても仲良くはなりたくないタイプだわ)一緒に出掛けても、対等じゃない。わかりやすく言うと、長女が大御所芸能人ならば、ピヨコはその付き人、みたいな位置づけでいつも過ごす羽目になる。

自分を大切になるためのスタート

結論としては「子宮メソッドを知ったつもりになってんじゃねーよバーカ。」と、子宮ちゃんにアッカンベーされたような気分である。そしてこれからも、絶望に近い気持ちに襲われるだろう。今回だって予測してなかった。長女が帰省して、普通に楽しく会話して、さよならまたね~で終われると思ってたのにね。勝手に下僕体質になって、勝手に家族を接待して、自分を殺して生きてるくせして、「他人から雑に扱われる」とわめく自分に気づかされるとは思わなんだ。そう、私の「自分を愛する」行為はスタート地点にも立っていなかったのだ。

 

常に自分は格下で、他人から軽く扱われる存在だと私は思っていた。価値観を覆すのは容易じゃないし、どこまでいくかはわからないが、子宮メソッドは続けていこう。もう二度と、対等になれない関係は築きたくない。それだけは自分と約束した。